オープンスタジオ:KOS 2011 淀「今、つくるということ」

淀では5/21・22にオープンスタジオを行い、たくさんの方に見に来ていただきました。

皆様、お越しいただきいただきありがとうございました。

淀のオープンスタジオは終了致しましたが、京都オープンスタジオは5/28、29と開催しております。

是非、アーティストの現場をご覧ください。

京都オープンスタジオ ホームページ

 

淀では「今、つくるということ」をテーマにオープンスタジオを行い、

テーマについて各自テキスト作成をし、来場いただいた方に配布いたしました。

以下にそのテキストを掲載いたします。

 

「今、つくるということ」
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■ つくるということ。→絵を描くこと。絵の具を消費すること。紙を消費すること。鉛筆を消費すること。

体力を消費すること。時間を消費すること。人生を消費すること。思考を深めること。感動を生み出すこと。

欲求を満たすこと。自己満足すること。コミュニケーションするということ。何かを表現すること。

社会に接するということ。これらを「今」行うということは?→何か意味があるのか?何故そんなことをするのか?

他にすることはないのか?他に出来ることはないのか?他にしなければならないことはないのか?

そんなことを考えると素直に「作品に対して誠実であること。」「制作に対して真面目であること。」と言っていた

友人の言葉を思い出した。社会に対して発信することに責任を持ち、覚悟を持って作品作りに挑むことを置き去りにして

芸術はあってはならない。と思えるようになった。
2011/05/20

おかひろし

 

 

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■ 「今、つくるということ」という設題を前にして、私は途方に暮れている。特に「今、」という言葉が、受け止めきれないほどに重たくのしかかる。ここで問われている「今、」とは、間違いなく3月11日以降の時間を指している。

つくることに携わってきた私にとって、本来は特別な問いではなかったはずだ。これまで培った自身の経験をもとに、現在直面している課題やこれからの展望を述べればいいのだから。しかし3月11日以降、それは変わってしまった。

これほどの範囲で社会や風土が一気に消えてしまう事態を、私は想像したこともなかった。「私は生き残った」という感覚を初めて覚えた。16年前に経験した自然の脅威を、私はいつの間にか忘れていた。今日の文明には、耐えることの出来ない試練があることを思い知った。

土を焼くということは、先ずはそこに含まれる水分を結晶水のレベルまで蒸発させることから始まる。その為には大きな熱量が必要であり、私はその燃料に多くの電気を使用してきた。熱、水、蒸発、電気…、やきもの作家としてその恩恵を受けてきたシステムと、日々の報道で流れる深刻な言葉とが私の中で重なっていく。

つくるという行為が自己を発見し、自覚する為の方法であるとするならば、私は「今、」という状況を何とか受け止めようとする自分を、つくり手として信じてみようと思う。想像力を持ち続けなければならない。そしてこれからの社会的、風土的責任の果たし方を模索し、自分なりの目線でその輪郭を形づくっていかなければならない。

それが美術と名付けられるかどうかは別として。
2011/05/12

亀井洋一郎

 

 

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■ 「今つくるということ」ネガティブにもポジティブにも受け取れるが、

私にとって作るという事は前向きな行為であり、楽しい事だ。

「今つくるということ」は今を作るという事だと思う。
2011/05/15

林大作

 

 

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作るという行為は表現するという前に、考えを見つめ直すという行為が大部分を占めると思う。

作ることで、何を考えているのかを確認し、さらに考える。答えを導きだすというよりはさらに深め、

次につなぐという感じ。日々環境が変化する中で自分を見失わないように、何かに流されないように、考え、作る。
2011/05/20

北條裕人

 

 

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■ それを説明するには、なぜつくるのか?ということを説明する必要がある。つくるということ。

普通のごく一般的な生活をしている人、言い換えればアートに興味関心がない人とか、現代アートって何がアートなの?

と発言する人達やアートなんてお遊びだと思ってる人達にはアーティストというのは不思議に映るのだろう。

特に日本はアートと生活と結びつきが薄いお国柄。しかし文化というものには芸術が付きもの。

世界史で習う様なゴシック様式やビザンツ様式とかもそう。文化が繁栄すれば芸術が繁栄する。

それはとても普通な事だと思う。だからつくるという事は何も不思議な事だとは思わない。

むしろ、つくるために人生をかける人がいてもいいじゃないかと思う。そして出来たものに対して見た人の心が

動く様なことがあれば、それはすごく最良なこと。そんなことが出来るアーティストという生き方。

それがつくるということ。今。日本は危機に直面している。色んな意味で。震災はもちろん原発問題もそうだ。

どう復興しつつ、シフトしていくのか。それはとても難しい問題だし、色々な人が協力し合わなければいけない。

人はこんな時、何に対して一番従順なんだろうか。それはやっぱり自分の心に対してだろう。直感なり長考なり、

思った事を行動していく。心を動かすことの出来るアーティスト達。これはアートだけでなくジャンルは違えど、

ミュージシャンやお笑い芸人もそうだろう。人を感動させたり、笑かしたり。

こんな時だからこそ感情豊かになってもらいたい。それが物事を判断する時に活きてくると思う。

人の感情を動かすことはとても難しいことだけど、私は出来る範囲で出来る限りの事をして行きたいと思う。

だから私はつくり続けたい。
2011/05/20

森彩華

 

 

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■ 死ぬとか生きるとか、分からない。つくる、つくらない、表現する。好きなこと、そうじゃないこと、

嫌い、嫌いじゃない、興味がない、知らない、知らないから興味がない。たぶん、いっぱい知る(知っている)ことは大変で、

その分体力を使うけど、大切。知ることは、例えば、再び好きな(人の)ことを思う意味を僕に問いかけてくれる。

考えることは、好きなことをまた一層深く思うことに繋がる。違う視点から見つめられる。そこでまた新しいことを

発見して、知って、知ってしまって、見てしまって、そしてまた考える。 芸能人が自殺した。

ニュースを受けてその人の友達が泣いていた。それをみて僕も悲しくなった。その友達の後悔の念とか、

『僕も友達が死んだら悲しいだろう』って思ったり、頭の中で色んなことがめぐり、その人の人柄や一生を考える。

一人の死でさえ受け入れきれない。 大きな地震があって、津波がおそってきて、原発の事故があって、死者1.5万人なんて、

理解できない。そこに近づけない。大変だったねと身をよせられない。僕は本当に平和のもとに生きていて、

ある人は大切な人を失って、もう死んだ人は帰ってこないけど、だからって死んだ人を忘れられる訳じゃないけど、

今、僕のまわりを見渡すと、僕の知ってる人たちがいて、その人を見て、その人のことを考えて、その人を見る目が

悲しいだろうと感じた、あの人の感情と重なって、大切にしたくなる。失いたくない、あの人が思ったであろう後悔は

したくない。そして悲しい思いなんてさせない。っていうことをあと1.5万回考えないといけないと思う。

たくさんの人が死ぬ前の平和な日々を取り戻したいと思う。平穏な日々の記憶を思い出すと、その時に帰りたくなる。

気付かなかった事がいっぱいあって、初めて気付いて思う。でも元に戻して前の世界に帰ることが目的じゃなくて、

現実はこの震災を乗り越えなくちゃいけないことをみんな知っていて、その重圧に耐え切れない。

そんな時、悲しむことしか出来ない。「今、つくるということ」今の僕にはどう考えたって分からない。

震災があって、原発事故で未来に何が起きるのかも。津波でたくさんの家や建物が飲まれていく様も。

見ているのに理解できない。大勢の人が死んでいくことも。分からない、自分。そんな自分を見つめるしかない。

見つめて、いっぱい考えて、その時を後悔しないように、その日一日を後悔しないように。自分を見つめて、

見つめ続けて、その上に立って色んな事を考えながら作品をつくっていくしかない。

アーティストはこのことを忘れちゃいけない。

こんな現実を乗り越える時にアーティストの力が役に立てることを願っています。
2011/05/19

安田知司

 

 

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■ 早速だけれど「今、つくるということ」を「3.11震災以後の世界でつくるということ」に言い換えてみる。

現在の僕の“今”は東日本大震災という出来事とは切り離せない。正直、3.11から約2ヶ月が経とうとしている今も、

日々流れる震災・原発関連の情報を取り憑かれたように追いながら、それが何の為の行為なのか分からないでいる。

情報は被害の甚大さや悲惨さを刻々と伝えてくれるが自分自身は何も更新できずに立ち止まったままだ。

現在(2011.5.9)も避難所で多くの方々が不安な日々を過ごし、福島第一原子力発電所の事故は予断を許さない状況のなか、

京都で普段の日常を何不自由なく過ごす僕にはこの状況に対してできることは何も無いに等しいことは分かっている。

それでも、僕の中で決定的に変わったことがひとつある。それは自らの目前に『線が引かれた』という感覚がある

ということ。僕を取り巻く日常の景色に特段の変化は見られないが、表現をするにあたっての状況は震災以前とは

景色がまるで違っていることに気付いたことである。これは作家なら少なからず感じていることではないだろうか。

『線が引かれた』と表現したが。その線は人にとってそれぞれ意味の異なるものである。

僕にとってのその線はある種のスタートラインのようなものだ。ある人には越えることの出来ない境界線、

もしくはただの目印のようなものに過ぎない人もいるかもしれない。

しかし、多くの若い作家にとってその線はスタートラインになるだろうと勝手ながらに思うのである。

よくも悪くも日本は豊かで過ごしやすい安寧とした国である。アメリカに守られながらすくすくと育った経済だけは

一人前の独り立ちできないお坊っちゃま、そんな国で夢見がちに作品をつくってきた僕たちは語るべき未来も世界に向けて

伝えるべき想いも本当の意味では持てていなかったのではないか?

ある意味、今回の震災でそんなことが日常の裏側でどろっとした質感を持って顔を覗かせたのである。

それに気付いてしまった今、それを無視して今まで通り作品をつくる事ができるだろうか?

もし、つくる事ができたとしてそんなものに意味はあるのだろうか?そんなことを考えてしまった。

だけれども、僕たちは『線が引かれた』その引かれた線の向こう側に足を踏み入れる覚悟をしなければならない。

この日本が置かれた困難な状況をあらゆる手段をもって克服しなければならない。

多くの被災者の方が生活に苦しみ、行方不明者の捜索が続くなかで自己の表現について考え述べることは

適切でないかもしれないけれど、僕は作品をつくり表現することがこの日本で、この困難な状況においても

必要不可欠である事は作家が身を以て証明しなくてはならないことであると思っている。

ひとりひとりの作家の成せることは小さいけれど、美術の成せる事は決して小さくないと信じている。

これからしばらくは煩悶の日々が続くかもしれないけれど、僕はスタートラインに立つ準備をしようと思う。

引かれた線の向こう側をしっかりと歩めるように。末筆にはなりましたが、この度の東日本大震災で被災された方々に

お見舞い申し上げるとともに亡くなられた多くの方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

もう一度、心の底から笑いあえる日が来たときに日本が今よりもずっとずっと素敵な国になっていますように。

 

2011/05/09

矢津吉隆