KOS2013text

5/11、KyotoOpenStudio2013が無事に終了致しました。
足下の悪い中、ツアーに参加いただいた皆様ありがとうございます。
そして実行委員の皆様お疲れさまでした。

今回のオープンスタジオに向けて、淀ではメンバー各自テキストを書きました。
テーマは「淀と○○と私」。
オープンスタジオを始めて4回目となり、スタジオの利用メンバーが入れ替わる中、
今一度、淀との関係を見つめ直すという意味でこのテーマとなりました。

例年はスタジオへご来場いただいた方へプリントにて配布しているのですが
今回はHPにも載せたいと思います。

是非、ご一読ください。

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■ 淀と作品と私

私にとって「淀という場所で制作する」「淀という場所に居る」、ということは作品制作に非常に大きな関連性を持ちます。何故ならば、私の居る場所や展示する場所の地図にそこの土地の風景を描いたり、地図を素材に立体作品をつくったりして、「自分の現在位置」と「周りの世界や環境」との関係をテーマとして制作を続けてきたからです。

この淀地域は宇治川と桂川に挟まれた場所で、淀殿と呼ばれる浅井 茶々が入城していた淀城があった場所でもあります。江戸時代は城下町であり、また宿場町(淀宿)でもある交通の要衝で歴史深い土地です。また、この工場跡は名和晃平氏がSANDWICHを立ち上げるまで使用していた正に制作の現場でした。
このような土地で作品をつくってきたことは私の作品の繋がりの中で一つの道程になっています。自分が居る場所/居た場所、それらは自分をつくるとても大きな要素です。その場所特有の空気、気配、雰囲気、ゲニウス・ロキは自分を構成する一部になります。

そしてこの淀には、関わってきた人の生み出した淀特有の つくる魂 があります。
今年4月、九州熊本へ引っ越しをしました。今度の土地では自分は作品を通してどんなことが出来るのか、そこの人たちとどう関われるのか。自分はどうなっていくのか、どういうことが自分に起こるのか。
淀の つくる魂 を受け継いでアート作品をつくり見せることで色々な人たちと関わっていきたいと考えています。

2013/05/04 熊本宇土にて
おか ひろし

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■ 淀とその空気と私

 「淀」には特有の空気が在る。私は他のアートスタジオに所属した事がないので比較の仕様がないのだが「淀」には確かにある。それは特別変わったものではないが私にとっては重要な「淀」の要素の1つである。 

 もともと名和晃平氏のスタジオであったものをアーティストに解放した共同スタジオとして「淀」ははじまった、そうだ。淀の存在意義、それはただの制作環境で留まるのではなく、そこで制作する者と社会を繋ぐ、発信する場所として機能するもの、らしい。このへんのあらましは「淀」に入ってから知ったのであるが、アーティストとしての活動歴が浅い私にとっては願ったり叶ったりである。
 
 現代のアーティストにとって自らを発信していく力は重要であり、いわゆる若手といわれる世代にとっては特に必要とされているところであるが、不意にその範囲が広がる事は稀である。そういった時期に私は「淀」と出会い、メンバーたちと制作の場を共にしている。ストイックに制作していると思いきや、共通の話題で笑い転げたり、先輩メンバーが後輩メンバーの相談に乗ったり、また笑ったり。そんな中に自らを発信するチャンスの糸口があったりして。そんな付かず離れず、付いたり離れたり、流動的な「淀」の空気に私は魅力を感じる。 

未だ「淀」におんぶにだっこ気味であるが、「淀」にいるそれぞれが純度を増しアーティストとして成長することで「淀」もまた形作られていくのであろう。そこに満ちる空気をつくり「淀」から自らを発信する存在でありたい。

2013/05/03
木村 健人

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■ 淀と淀までの距離と私

淀を私の制作現場だとして、自宅から淀までの距離4㌔メートル、移動時間にして25分をかけて私はようやく制作を開始出来る。つまり往復50分は、私が制作を行うにあたって削ることが出来ない時間である。

私たちの生活において移動距離は、時間の経過を簡潔に可視化出来る手段である。旧人は日の入りから日没までの太陽(影)の移動距離を目安にし、文明人も時計の文字板の針の移動距離で時間を捉え、乗り換え案内の時刻表のように移動距離が時間にコミットした尺度を使用している。

インターネットや通信手段が進歩した現代、物理的な距離や位置関係が希薄になっていく中で、私は一日のタイムラインに組み込まれる移動にかかる時間を強く意識し、作業現場までの移動時間は私の制作過程の一部へと変化した。

近年のyoutubeなどの動画サイト、ソーシャルネットワークにおいては、何時、誰が、何処で行ったのかはただの情報になり、全てが並列に視聴出来るようになった。しかし本来はその情報こそが、発信する事の本質にあるように感じる。私は移動時間を制作過程の一部にすることで、作品が特異性を得る工程をシステム化し、その内容とリンクさせるようになった。

2013/05/03
坂井 良太

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■ 淀と今と私

最近の関心の一つに、人と言葉との関係がある。人は言葉と思考を用いることでどこへでもいける。空間や時間を超えた、此処ではないどこか。

現実 とはどのようにできているのか。例えば同じ事象を目の前にしても、その人が抱える思想や言語等によってそれは異なったものとなる。対峙する者各々が在る、ことで今が存在する。

人は身体的にも精神的にも外部との繋がりの中に位置していて、膨大な流れの中でたくさんの事柄を収拾しきれない。そういった流れの中の一部としてある。

背景の異なる人たちと、時間や空間をシェアすること。その中で、個人では見えないものと出会う。そういったきっかけの一つとして、この淀という場を活かしたい。

やんやわんやしながら思考する、結論は出たり出なかったり。そこには意味も、はっきりとした輪郭もないかもしれない。でもそういったことが重要なのだと思う。

2013/05/05
橋本 優香子

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■ 淀と淀メンバーと私

淀スタジオは僕にとって工場みたいなもんです。でも作っている物は、素材、手法、考えてる事などみんなバラバラで、とっても刺激のある工場です。工場を利用しているメンバーと色々話もできる、これもまた嬉しいです。
そして、そこで作った物を外に出すといった感じです。

2013/05/04
林 大作

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■ 淀とクリスマスケーキと私

淀が立ち上がり4年目。知ってる方も多いかもしれないが、その前はKohei Nawa Art。さらにその前は名前もなく名和さんの初めて借りたスタジオとして機能していた。私が初めてスタジオに訪れたのは2005年のクリスマス。今でもその日のことは覚えている。名和さんとクリスマスケーキを食べたっけ。その時はこんなにも長くこのスタジオに通うことになるとは思いもしなかった。

淀が立ち上がった直後はまだPixCellのビーズがたくさん落ちていたし、外にはPixCellの虎と鯉もあった。まだ当時の物もあるが、さすがにビーズは見なくなり面影も少しずつ無くなってきている。といってメンバーの中では私にしか分からないだろう。きっとこの先も面影を残しつつ淀は変化し続けるのだと思う。

それはさておき、この機会にこの先を少し考えてみようと思う。元々淀は年齢やフィールドが異なるメンバーが集い立ち上げた共同スタジオ。メンバーは初期から半分以上が入れ替わり、平均年齢が若くなった。私は今年29歳になる。私が初めてスタジオに訪れた時の名和さんの歳だ。名和さんと比べる必要はないが、やはり当時から凄かったんだなと実感。私にとってこのスタジオはアートが生まれる場所であり、お手本の様な場所。この場所に居続けることはとても楽だし尚かつ楽しい。しかしいつかはステップアップのために、もしくはステップアップした時には出なければならないと思っている。そして大学卒業したばかりの人達にも淀で色々学んでほしい。それはまだ先の話に思えるが、出来る限り早くステップアップ出来るよう頑張りたい。そしてその時はきっとこの場所をお手本にするのだろう。

2013/05/03
森 彩華

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■ 淀と「スタジオ」と私

私は絵を描いて生活していきたいと思っています。アート作品をみて心揺さぶられることがあり、僕もこんな作品をつくって誰かを感動させたいと思いました。私の制作する目的はそんな作品を自分の手で生み出したいからです。

私がスタジオに入ろうと思ったきっかけの一つはそれまで発表もせず一人で制作をすることに疑問を持ち、私のやりたいことは一人では完結しないと思ったからです。私がこのスタジオにいる理由は制作する中で自分一人では解決出来ない問題に遭遇した時、誰かの一言などで解決の糸口などを見つけられたり、自分の価値観以外からのモノの見方で新たな制作方法が見つかったり、制作環境の中に誰かがいる事で、より自分の作品を客観的に眺められたりできるからです。スタジオでの制作は私に新たな視野を与えてくれました。

よりよい作品をつくりたい。そして私は私が制作に取り組んでいる姿や考えを周りにいる人に提示したいとも思い始めました。私が決して一人では獲得できなかった制作への糧や新たな考え方は誰かが私に与えようとしたものではなく、その人が何かを思い、考え、行動した結果、私に影響を与えたのだと思います。私がここで行動することで誰かに影響を及ぼしたい。それがいいか悪いかではなく、共同でスタジオを借りる事の醍醐味、私が同じ場所で誰かといることの理由に繋がると思いました。

誰かが制作している姿に感動することがあります。筆を持つ手の角度、膝の屈伸運動を使って緩急をつける様、筆の毛先に神経を研ぎ澄まして微妙な変化をつける。集中しているその人のカラダの動きは今までの色々な経験の上にあって、無意識のうちにそのカタチになっている。そのカタチになっている全ての理由が目の前にあるものをつくりあげるため。眼差しがみているものは直前に描いた筆跡なのか、それとも次のタッチの想像図か、それとも完成像か。色んな事が頭の中で混ざり合いながらも次へ進むためまた作業し始める。目線を逸らさずに粘土をこねる姿をみた数日後、出来上がった作品。その作品をみる度に作者の制作している姿を思い出し、一層その作品が好きになります。その作品を持つ手の作者が好きになります。作品は単なる素材の塊ではなく、作業の始まりから終わりまで幾度も取捨選択があり選べない瞬間にも決断を強いられ、後悔と挫折の上に学び、カタチづくられている。作者にとって大切なものになると同時に私にとっても大切に思いました。そして私も同じような事を私を通して体験してもらいたいと思います。この世界に係わり続けていたいと思いました。

しかし、普段からそういった制作活動をしない人、その場所にいない人からするとわかりにくい事だと思います。だからこそ、つくる側はどういったアプローチで作品を提示しないといけないのかを考えないといけない。それによって、大きく作品が内包する意味が変わってくる。展示一つで作品の見え方が変わってくる。でも実際は作品をおく環境を自分でコントロールすることが難しい世の中になっていることも事実です。それに加え、受け取る側も様々です。矛盾が生じ、選択しようにも解らない事だらけで、ただ通り過ぎていくような感覚になる瞬間もあります。そういった状況でも自分の制作、作品は疎かにしてはいけないと思いました。今は何より私が思う事はいいか悪いか、良かったか良くなかったよりも、その経験を考え続ける事が大切だと思います。

今回で四度目となるオープンスタジオの参加、@KCUAでのkyoto studio展。新たな価値観、制作の視野を与えてくれたスタジオは今後も私の知らない何かをみせてくれると思います。いろいろな出来事や思いが交錯するこの場所に身をおき考える事が私の刺激になり、興味がある事の一つになっています。

2013/05/04
安田 知司

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■ 淀と○○と私

 何を当てはめようかと悩んでいる。まあ、要は何を書いてもいいということなのだけれど淀と私の間にぽっかりと空白が存在して何も思いつかない。今進行中のプロジェクトのことを書いてもいいけど、それは淀と特に関係ないし…、あ、でもそのプロジェクトで使用する模型を淀で制作していた時のことなら書けるかな…。などと考えながら淀のすぐ近くの土曜日のお昼のファミレスにいる。GW初日の今日のファミレスは恐ろしいほど休日感に満ち満ちている。

大学を卒業してこのかた就職なんてしたことないしフルタイムでバイトとかも経験のない僕には休日も祝日もない。というか、予備校で働いていたから日曜日とか寧ろ要出勤日だった。連休とかの喜びも最近味わってない。中学生や高校生の時は嬉しかったなぁ、本当に心待ちにしていたよ…。それこそ指折り数えて…でも、休日が嬉しいのは平日の地獄があるからで、だから月曜日が怖くて現実逃避しちゃうわけ。

僕は中学も高校も嫌いだったし馴染めなかったのでその思いは人より強いかもしれない。クラスに馴染めずクラブ活動に逃げるが、、、結局そこでも馴染めない。体育会系のノリとか無理でした。今の僕を知る人は以外かもしれないけど内向的な少年だったのです。高校とか自由な校風が売りの私服の進学校だったしみんな楽しそうにしてたけど、部活引退してから美術系の予備校に通いだして美術と出会うまでは、自由な校風に馴染めない鬱屈した学生生活送っていました。今思えばもうちょっと早く絵に向かい合っていれば高校生生活ももう少し華やかなものになったかもしれないな、とは思います。でも、結局そういうことも含めて今に繋がっているんでしょう。

どうでも良いことをつらつらと語ってしまいましたが、淀での人のつながりはクラスメートでもない部活の先輩後輩関係でもない、かといって仕事の仲間とも違う。そんな微妙な距離感がなかなか居心地がいいんだろうなぁ。…と、淀MTGの和やかな雰囲気を感じながらいつもそんなことを考えています。僕は今の日曜日も月曜日もフラットな毎日が好きです。

ということで最後になりましたが、僕が○○に入れる言葉は…

淀と日曜日と私

2013/05/03
矢津 吉隆